さらにこちらでは
湖に浮かべたボートをこぐように
人は後ろ向きに未来へ入っていく
目に映るのは過去の風景ばかり
明日の景色は誰も知らない
湖に浮かべたボートをこぐように人は後ろ向きに未来へ入っていく目に映るのは過去の風景ばかり明日の景色は誰も知らない
いつでも誰かを犠牲にしており
いつでも誰かを踏みつけており
そのことをすっかり忘れており
甲本ヒロト「僕、一人は好きだよ。寂しいのはイヤだけど。一人は寂しくないもん。寂しいっていうのは、人と人との関係の中で起きることだから。一人ぼっちってよく言うけど、一人っていうのはちっとも寂しいことじゃないんだ」
やっぱ人柄っていうのはどうしても動かし難くあって、そして、人柄っていうのは八割がた見かけで決定するのではないかと思う。見かけっていうのは、たんに姿形ということではなく、物腰とか声とか喋り方とか仕草とか人当たりとか含めたもので、同じことを言っても、あの人が言うのとこの人が言うのとではまったく感触が違う、というようなことだ。人柄が見かけににじみ出るということも当然あるのだろうが、むしろ、見かけこそが人柄をつくる、という感じではないか。人柄というのは、自分で決めることが出来るものではなく、他人がその人に対して判断するもので、しかも、言語化、意識化するよりも前で既になされてしまっている判断で、それはやはり物腰とか雰囲気としか言えないようなもので、とはいえそれはたんなる外面とは言えないその人の内的実質を(おそらくは)かなりの程度で捉えてもいて、それがその人の、対人的世界の接触面をかたちづくっているわけで、それは意識的な操作が出来ないもので(ある程度は可能だとしても、基本的にはメッキは剥がれるものだと思う)、しかも動かし難くあり、それは作品という次元でも確実にあるんだよなあと、自分自身にうんざりしつつも、思うのだった。本当は、作品は「そこ」を超えなきゃいけないものだとも思うけど。
2009-02-01 - 偽日記@はてな (via chez-sugi)
なんだ、tumblrのハナシか。
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母が5回の結婚と離婚をしてるため、私には5人の父がいる実の父は、私がおなかにいるときに女と出て行ったらしく記憶にないけど2番目の父からは、私のことを可愛がってくれた離婚理由はすべて母の浮気と借金だったけれど「俺も○○(私)の父親だ!」と4人とも言ってくれて大学の学費も4分の1ずつ出してくれた4人がなぜか仲良くなって私もふくめ5人で食事もよくしていたで、私の結婚式バージンロードを誰と歩くかで本当に悩んだ悩みに悩んで、5メートルずつ一人一人と歩き、最後の2メートルくらいは5人で歩き4人の新婦父が新郎に娘を託すというパッと見わけわからない式になった父たちは一人泣き出したらもう止まらず、一人につき5分ぐらい時間がかかった新郎親族は呆気にとられていたけど、私の親族の複数の祖父母はもらい泣きしていたそんな式に呼ばれなかった母の不幸145 愛と死の名無しさん [sage] 2011/09/15(木) 12:29:49.00 ID: Be:母はまた男ができたようです男を見る目だけはありますが、女としては見習いたくないです花束贈呈は一人一人にしましたが、これまた時間かかりました。それぞれ一緒にいた時期が違うので「よちよち歩きだったお前が。。。」「ランドセル背負ってたお前が。。。」とかそれぞれ泣きながらw
昔、テレビを観ていたら、「山奥で誰とも接触せずに一人で暮らしている人」を取材するという番組をやってたんですね。
で、色々とあって、TVカメラの前にその人が現れたんです。
そしたらやっぱりその人、すごく変わっているというか、まあ「一般社会でうまくやっていけないだろうなあ」って印象の人だったんです。
で、この人も若い頃からいろんな葛藤はあって、やっぱり周りとはたくさんのトラブルがあって、どうしても自分は受け入れてもらえなくて、色々と考えたあげく、「もう誰とも接さなくて良い、山奥で一人で暮らそう」って決めたんだろうなあ、って想像しました。
※
よく思うのが、「性格って直せない」ですよね。
「自信がなくて人前で上手に振る舞えない」という人もいれば、「根拠のない自信があって、何も結果を出していないのに偉そう」という人もいたりして、本当に「いろんな性格の人が世の中にはいるもの」です。
そして「自信のない人」はそれなりに気にしていて、「もっと自分に自信を持って行動しよう」なんて本を読んだりしているかもしれないけど、まあ「そんなに効果はない」ですよね。
あるいは「根拠のない自信がある偉そうな人」も、みんなにちょっと嫌がられたりしているのは気がついているけど、やっぱり自信があるわけだし、どうしようもないんです。
ホント、性格って直らないんです。
じゃあどうすれば良いのか?
自分の性格を受け入れてくれる場所を自分で探すのが一番です。
例えば僕はすごく「適当」で「いい加減」で、さらに「その場のノリで適当なことを言う」んです。
でも、ブラジル人のコミュニティに入ると、彼らは僕以上に「適当」で「いい加減」で、「その場のノリで適当なことを言う」んです。なんかすごく楽なんです。
以前、オーストラリア人女性と知り合って、彼女、すごく控えめで、シャイで、まあ「日本人っぽい」んですね。
で、「日本人っぽいですね」って彼女に言ったら、「そうなんです。私、オーストラリアでいたときは、みんなすごく自己主張が強くて苦手だなあって思ってたんですけど、日本に来たら日本人はみんな自己主張が強くなくてすごく居心地がいいんです」と言ってました。なるほど、彼女は「自分の場所」をみつけたわけなんです。
別に外国じゃなくても、「山登りサークルの人たちとはなんとなく肌が合う」とか「短歌サークルの人たちと一緒にいると自分らしく振る舞える」とかありますよね。
自己啓発と言いますか、「自分を変えよう」という発想って僕は正直、「無理」と思っています。人間って、まず「生き方」とか「考え方」とか「人との接し方」って変えられないです。
それよりも「自分にぴったりの場所」、「自分が心地よくてみんなが受け入れてくれる場所」を探した方が良いですよね。
※
たまに「今の場所が苦しそうな人」を見かけたり、インターネット上でも「苦しそうな書き込みや文章」を見かけたりするので、「自分の性格はまず変えられないし、周りの人もそう簡単には変わってくれないし、だったら場所を変えて自分にぴったりの場所を見つける方が良いですよ」と言いたくなり、こんな文章を書いてしまいました。
どこかにぴったりの場所あると思いますよ。
ネットでよく見かけるものに「他人の人生の選択に評価を下したい人」がいる。
とにかく「その人生の選択は間違っている!」と言いたい人。その背後には「私の人生の選択は間違ってない」という叫びが聞こえる。
父「日本がサッカーがあまり強くないのは日本にはサッカー文化がないからだ」
のぶ「蹴鞠の文化があるじゃん」
父「おぉ…」
母「蹴鞠はゴールない」決定打が入らない理由
_人人人人人人人人人_
> 蹴鞠はゴールない <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
